蛤御門は京都御苑に入る門の一つで、江戸時代末期、
この門の周辺で長州藩と、会津、薩摩、桑名藩との間で
激戦が行われました
「禁門の変(蛤御門の変)」で、門の梁にはその時の鉄砲の玉傷らしき跡が残っています
江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が、
始めて解放されたため「焼けて口開く蛤」に例えて「蛤御門」と言われるようになりました。
一度もBLOGに入れてなかったので、見に行ってきました
鴨川を渡る橋は、牛馬が重い荷物を曳いて渡ると
橋が傷むため、また橋の幅が狭いため
牛馬は鴨川の側道を降りて、
川を歩いて渡っていました
この川に降りる道が、滋賀越道の荒神橋と三条大橋に残っています
ぶらたもりで紹介されたギザギザを見てきました
自宅から御苑を蛤御門まで行き、御苑北の端から、
東へ、次に南に進み
荒神口で牛馬用下り坂を見て、鴨川を下り、
三条大橋でも牛馬用下り坂を見て、
三条を東側に進み、四条富永町で、道路のギザギザを見て
バスで帰ってきました
距離は9.2Km 移動時間は1時間22分 歩行速度は6.8Km/hでした
この門の周辺で長州藩と、会津、薩摩、桑名藩との間で
激戦が行われました
「禁門の変(蛤御門の変)」で、門の梁にはその時の鉄砲の玉傷らしき跡が残っています
江戸時代の大火で、それまで閉ざされていた門が、
始めて解放されたため「焼けて口開く蛤」に例えて「蛤御門」と言われるようになりました。
一度もBLOGに入れてなかったので、見に行ってきました
鴨川を渡る橋は、牛馬が重い荷物を曳いて渡ると
橋が傷むため、また橋の幅が狭いため
牛馬は鴨川の側道を降りて、
川を歩いて渡っていました
この川に降りる道が、滋賀越道の荒神橋と三条大橋に残っています
ぶらたもりで紹介されたギザギザを見てきました
ギザギザの町並みは、縄手通、大名屋敷を中心とした町の境界の土地に、
お茶屋の家屋を詰め込んだ結果、区画がずれてしまったことによります
自宅から御苑を蛤御門まで行き、御苑北の端から、
東へ、次に南に進み
荒神口で牛馬用下り坂を見て、鴨川を下り、
三条大橋でも牛馬用下り坂を見て、
三条を東側に進み、四条富永町で、道路のギザギザを見て
バスで帰ってきました
距離は9.2Km 移動時間は1時間22分 歩行速度は6.8Km/hでした