轆轤町轆轤町があることは知っていましたが
仁丹看板を撮影してなかったので、撮りに行ってきました 

このあたりは一面人骨が転がっていた。
死体を鳥部野まで運ぶのが面倒で鴨川に捨てていた時代、
昔の川というのはよく洪水が起こっていた。
洪水の後は鴨川の死骸が河原一面に散らばってしまうのだ。
それを鳥部野、鴨川の境のこの六道の辻という
当時あの世この世の境目と言われていた所に、
死体をかき集めたり、死体を捨てていく人が後を絶たなかった。
そういう事もあり、ここら一体には人骨が無数に放置されていたということから
髑髏町と呼ばれていたそうです
 東轆轤町、中轆轤町、西轆轤町があるようです

ウオーキングは、清水坂を上がって、自主神社の横から東山展望台へ、知恩院経由で帰ってきました
 8.55Km 1時間38分 歩行速度5.2Km/H 11,562歩 標高差200mでした