京の夏の旅で輪違屋が公開れているので、行ってきました
島原は1641年官命により移されました、この騒動が島原の乱を思い起こさせたので、
島原となりました
公許遊廊島原の正門には島原大門があります

輪違屋は、揚屋と置屋を兼ね備えた現役の店で、日本で唯一「太夫」が居る所です。
太夫は「こったい」とも呼ばれ、正五位の位を持ち十万石の大名に匹敵するとされるほど格が高く、
また教養も深かったことから、客の方が太夫の機嫌をとったと言います

角屋は、揚屋でした、
揚屋とは、芸妓などは抱えずに遊興の場所を提供する店の事で、現在の料亭のような存在でした。
この揚屋から遊女を抱える置屋に差紙と呼ばれる招請状を出して太夫を呼ぶのですが、
この途中、内八文字を踏んで歩く様子を「太夫道中」と言います


simabara sumiya wachigaiya